シェトランド(シェットランド)

Hjaltland(シェトランド[28][30]、シェットランド[31]
 ― land[3] 土地、陸地[3] [中][3]

原典版

概要

  • バイキング時代は、シェトランド諸島は北欧からブリテンアイスランドに向かう中継点として使われていた[28]。やがて、ハラルド美髪王ノルウェー統一に不満を持つバイキングたちの一部によって植民と開発が進められ、原住民のピクト人、大陸から移住してきたケルト人たちと共に平和な共同生活が営まれ、十五世紀にスコットランドの支配をうけるまで独立した王国の島として栄えた。そのため言語や信仰、生活様式、法律、娯楽にいたるまで北欧と共通するものがあり、現在も一万語を超える北欧語(ノルン)が生きている[28][30]
  • 植民者の数から推して、ほとんど全住民がヴァイキングの末裔と考えられる[30]
  • 毎年一月最後の火曜日には[28]、首都ラーウィックにてかつて栄えたバイキング時代をしのぶ火祭り「アップ・ヘリー・アー」が行われる[28][30][31]。そこでは総督ヤールを先頭に五十人近い武装した戦士達が主神オーディントールなどの神々を讃える歌を大合唱しながら行進し、龍頭つきのバイキング・シップを囲んで松明の火で船を燃やす。もともとは仮装した若者が燃えるタールの樽を引って町中を練り歩く祭りであったが、危険であるため、それが松明行列に変わり、そして十九世紀頃にはバイキング船のレプリカを燃やす祭りに変わっていったという。[28]「アップ・ヘリー・アー」とはシェトランド語で「冬至の祝日」を意味しており、バイキング時代、冬至の日には一年中で最も重要な「ユール」の儀式、太陽の復活と豊穣を祈り祖先を敬う火祭りが十二日間にわたって行われていたが、のちに冬至がクリスマスとなったために、開催は一月にずれこむこととなった。冬至を表す「ユール」は現在、北欧ではクリスマスの意味でもちいられている[28][30]

略歴

  • 800年[31] ヴァイキングがアイルランド侵入の準備のため、シェットランドに野営地をつくる[31]

参考文献

公開日:2024/10/12 19:21:53

最終更新日:2024/11/05 14:00:05

カテゴリー: 地名