Knútr(クヌート[18][30][31][32]、カヌート[11][30])
原典版
概要
- カヌート・ラーヴァルド。デンマーク王。ヴァルデマルの祖父。祖父ニールス王により南ユトランド(ユラン)の候になり、ヴェンド族遠征に功があったが、ニールスの子マグヌスにより1131年謀殺される。死後その墓から泉が湧くなど奇跡が生じた[11]
- ヴァルデマル一世の子で、ヴァルデマル二世の兄[11]
- スヴェイン・フォーク髭王の子。スヴェイン王の死後イングランドを支配した[30][31]。また、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの大スカンジナヴィア帝国の支配者ともなった[31]。英国民からは暗愚王と評価されたが、実際はイングランドに二十年間平和をもたらし、法律を再組織した政治手腕のある王だった。死後はハルズクヌートがそのあとを継ぐが、1042年に子がないまま死亡し、イングランドにおけるデーン人の支配は事実上終わりを告げた[30]
- 「クヌート老王のサガ」などから、スノッリは多数の引用をしヘイムスクリングラを記した[18]
略歴
- 1016年[30][32]11月30日[30] クヌート大王がイングランドの王になる[30][32]
- 1028年[30] ノルウェーからオーラーブ・ハラルズソンを追い、ノルウェー王も兼ねる[30]
- 1035年[30][31] クヌート王死ぬ[30][31]
- 1096年[11] カヌート・ラーヴァルド誕生[11]
- 1131年[11] カヌート・ラーヴァルド、マグヌスにより謀殺される[11]
- 1169年[11] カヌート・ラーヴァルド、ヴァルデマル一世により聖者の列に加えられる[11]