Nóregr[3]、Noreg[22]、Noregr[16](ノルウェー[2][3][6][11][16][18][25][28][30][31][32]) 北の道[3] [男][3]
― norðr[3]、norðri[1][13] 北[1]
― vegr[3] 道[1]
原典版
概要
- 荒涼として山が多く、西海岸は深いフィヨルドにえぐられている[31]
- オージンが北欧に到ったとき、息子セーミングをノルウェーの支配者にした。その後、ハラルド美髪王が870年代に覇を唱えるまでは小王が割拠する多数の王国に分かれていた[16]
- 天候が良いときは、ノルウェーからアイスランドまでは7日で着いた[32]
- ノルウェーやアイスランドでは、エレが価値の単位として用いられた[1]
- 北欧神話というときの北欧は、フィンランドをのぞいたスカンジナヴィア(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー)とアイスランドをさす[25]
- ノルウェーのヴァイキングは略奪者というよりどちらかといえば王の専制をきらった自由農民による植民者の性格が強かった[30][31]
- アイルランドでは、デンマークのヴァイキングは黒い異教徒と呼ばれ、ノルウェーからの白い異教徒とは区別された[30]
- デンマークに支配されていたが、聖オーラーブ王により解放された。北欧では七月二十九日は聖オーラーブ王の日とされ、特にノルウェーでは祝日として各地で様々な行事が催されている[30]
- 865年[18] ハヴルスフィヨルドの戦い。ノルウェー統一[18]
- 872年[18] ハラルド美髪王がノルウェーの専制君主となる[18][28]
- 930年[18] <血斧のエイリーク>のノルウェー共同統治[18]
- 953年[18] ハーコン善王がノルウェーの国法を制定[18]
- 995年[18] ノルウェーのオーラヴ・トリュッグヴァソン王、オーラヴ聖王が生まれる[18]
- 997年[18] オーラヴ・トリュッグヴァソン王とエルリング・スキャルグスソン。ノルウェーとアイスランドのキリスト教布教のはじまり[18]
- 1035年[30] マグヌス善王による統治[30]
- 1218年[18] スノッリがスクーリ候の歓待をうけてノルウェーを訪れ、各地の史跡をたずねて後の『ヘイムスクリングラ』のための材料を集める[18]
- 1222~31年[18] ベルゲンの商人とオッディのスノッリの乳兄弟セームンドの対立抗争が次第に激化したことにより、ノルウェーとアイスランドの関係性が次第に悪化する[18]
スノリのエッダ 序文
- セーミングが支配した土地の名。セーミングからノルウェーの諸王や諸侯、ほかの貴族たちが発する[6]
- オーディンはエーシルたちを連れてトロヤを旅立ち、北方の国々、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、サクスランドを旅して支配し、多くの子孫を残した。そのため、彼らの言語がこれらの地域の母国語となったといわれる[6]
詩語法
ヘイムスクリングラ 原著者序文
- デンマーク王が陵墓をつくるようになってからも、ノルウェーではしばらく火葬の時代が続いていた[18]
- ハラルド美髪王がノルウェー王となったとき、アイスランドへの植民が始まった[18]
- 司祭の賢者アリによって、ノルウェーやデンマークやイングランドの王たちの生き様などが記録された[18]
- アリはノルウェーの諸王の伝記をオッド・コルスソンにならって書いた[18]
ユングリンガサガ
ソルリの話とヘジンとホグニのサガ
デンマーク人の事績
- スカニアから分かれたハランドブレンキング(管理人注:ハランドとブレンキング)は、イェートランドとノルウェーに繋がっている。ノルウェーは位置、言語ともにデンマークやスウェーデンに近く、東方でスウェーデンとイェートランドに国境を接し、両側は近くの大洋に囲まれている。また北方には、驚くべき珍しい人々が沢山住んでいる国(訳注:グリーンランド?)を望む。北方を過ぎて東方にはガンドヴィクスという海が広がる。東部には、スクリックフィンニと呼ばれる種族が住む国があり、西方にはグラチアーリスがあるとされる[11]
- スウィブダゲル王の治める地[11]
- あるときニテリの王ハクインが娘のレグニルダを巨人と婚約させたことを知ったハディングが、その縁組が王にふさわしくないものとしてノルウェーに向かい、相手の巨人を倒した[11]
- ハディングがトゥニングを攻撃するために艦隊を率いて進軍していた際、ノルウェーの岸辺にいた一人の老人を同行させた。その老人の助力により、ハディングは勝利を収めたという[11]