原典版
概要
詩語法
- ウプサラを支配していた王の名。フロールヴ・クラキ王の母ユルサを妻にしていた[2]
- ノルウェーを支配していたアーリ王との間に不和を生じ、ヴェーニルという湖の氷の上で合戦を取り決めた。給料を全て支払うことを約束したうえで加勢をフロールヴ王に依頼し、十二名のベルセルクを借り受ける。合戦にてアーリ王を討ち果たし、兜ヒルディスヴィーンと馬フラヴンを手に入れた。合戦後、フロールヴ王のベルセルクたちへの報酬の支払いを拒否したため、フロールヴ王がウプサラに攻め入る。そしてフロールヴ王が母であるユルサから黄金と腕輪スヴィーアグリスを受け取りフューリルの野を駆け戻っていくのをスロングヴィルという馬に乗り追いかける。するとフロールヴ王が腕輪を地面に投げたため、身をかがめてそれを拾った。その様子をみたフロールヴ王は、スウェーデン人のうち最も権勢ある者をはいつくばらせてやった、と言い残し、去って行った[2]
ユングリンガサガ
- オッタル王の息子。父の後を継ぎ国を治めた。サクスランドにヴァイキング行に出かけ、そこを治めていたゲイルショールヴ王が不在の間に国を荒らしまわって略奪を行った。そして家畜と共に召使たちも連れ帰ったが、その中にユルサという非常に賢く美しい娘がいたため、心を打たれ、彼女をスウェーデンの王妃として迎え入れた。その後、フレイズラのヘルギ・ハルヴダナルソン王が大軍をもってスウェーデンに侵攻してきたため敗走し、ユルサをはじめとする多くのものを奪われた。ユルサはその後ふたたびアジルス王のもとに帰り、死ぬまでスウェーデン王妃の位にあった。その後ヘルギの息子フロールヴ・クラキがアジルスのところにやってきたことが、スキョールドゥンガサガに詳しく語られている[18]
- <ウップランドのアーリ王>との間に大きな戦をし、ヴェーネルン湖の氷上で戦った。アーリ王に勝利してスレングヴィルという最高の名馬を手に入れ、スレングヴィルの産んだフラヴンという名馬をハーロガランドのゴズゲスト王に贈ったが、ゴズゲスト王はその馬を止めることができず、背から落ちて死んでしまった。そして自身もまた、ディースのための供犠に出かけた際、乗っていた馬がつまづいて倒れたため、頭から落ちて死亡した。そしてウプサラで塚に埋葬され、人々から権勢ある王と呼ばれた。そのあとは、息子であるエイステインが国を治めた[18]