Uppsala[9][22](ウプサラ[2][11][18][23][26][30])
- upp[3] 上へ[3] [副][3]
- ヴァイキング時代、「全ての道はウプサラに通ず」といわれたほど栄え、集会の場が設けられていた[30]
- ウプサラにはスヴェア族の三人の王、アウン、エギル、アディルスのものと思われる巨大な墳墓がみられる[30]
- かつてこの地に聖なる森と神殿があり、神殿の内部にはトールを中央にオーディンとフレイの像が建てられていた。そこでは九年ごとに大規模な供犠祭が行われ、九人の奴隷が木につるされ、九匹の雄犬、九頭の羊、九羽の鶏などが血祭に捧げられ、豊穣が祈られた[30]
原典版
登場する文献と役割
詩語法
ヘイムスクリングラ 原著者序文
ユングリンガサガ
- シグトゥーナでフレイがオーディンに与えられた土地の名[18]
- ニョルズの後を継いでスヴィーショーズを治めたフレイは、ウプサラに大きな神殿を建てて都を移して財産をすべて注ぎ込んだため、そこからウプサラの富裕がはじまった。フレイの死後はその息子フィヨルニルが、フィヨルニルの死後はその息子スヴェイグジルが、そしてその後も代々の王がウプサラを治めた[18]
- スヴェイグジルの息子ヴァランディは、ウプサラにいたころ、フィンランドに残してきた妻ドリーヴァが魔法使いにかけさせた魔法によって、夢魔に体を踏みつけられて死んだ[18]
- ドーマルディの治世のころ、スウェーデンで大飢饉が起こったため、人々はウプサラで盛大な供犠を執り行ったが、収穫は好転しなかったため、ドーマルディがその生け贄に捧げられることとなった。ドーマルディの死後は息子のドーマルが国を継ぎ、やがてウプサラで病死した[18]
- スウェーデンのティーウンダランドにある。ここで全スウェーデン民会や大々的な供犠が行われ、王の多くがこの地を訪れた[18]
- オーディンがスウェーデンの首長となってからアグニが死ぬまで、ウプサラで王位についた者が全スウェーデンを支配する専制君主であった。アグニが死んでからは国と王位は枝分かれするようになったが、ウプサラの王はスウェーデンでもっとも高貴な王であった[18]
デンマーク人の事績
- 羅語Vpsalam[24](ウプサラ[11])。当時、オーディンが好んで滞在した地[11]
- ハディングに討たれたアースムンドの遺体はウプサラに運ばれ、葬儀が行われた[11]
- ウッフォは会談という口実でハディングをウプサラに招き、陰謀によりハディングの共のデンマーク人を殺害した[11]