ドーマルディ Dómaldi[22](ドーマルディ[18]) 原典版 登場する文献と役割 ユングリンガサガ ヴィースブルの息子の名。ドーマルディの継母はヴィースブルに対して、不幸が襲うようにと魔法をかけさせた[18] 父の死後その遺産を継ぎ、国を治めたが、その治世にスウェーデンで大飢饉が起こったため、その責任をとるために供犠の生け贄にささげられた。死後は息子のドーマルがその後を継いだ[18] ケニング Jóta dólgi[22] ユトランドの敵[18] (dólgr[9] 仇[2]) 参考文献 [2] 谷口幸男(1983)「スノリ『エッダ』「詩語法」訳注」『広島大学文学部紀要』(特輯号第43巻3号)p.1~122,広島大学文学部 [9] Guðni Jónsson (ed.), Eddukvaeði,Íslendingasagnaútgáfan (1954) (http://www.heimskringla.no/wiki/Skáldskaparmál)2018年3月30日アクセス. [18] 谷口幸男(2008)『ヘイムスクリングラ-北欧王朝史(1)-』プレスポート [22] N. Linder og H. A. Haggson(http://heimskringla.no/wiki/Heimskringla)2022年3月27日アクセス.