Hákon[16][22](ハーコン[1][16][18])
原典版
概要
- ノルウェー王。ノルウェーを訪れたスノッリを家臣とし、Lendrmadr(封土を与えられた貴族)の称号を与えた。スノッリから、ハーコン王とスクーリ候の功業を称えた頌歌を贈られた。それに対し、頌歌への見返りとして豪奢な贈り物やノルウェーへの招待状などを贈ってこたえた。ところがスノッリがアイスランドをノルウェー王の統治下に組み入れる動きを見せなかった事に腹を立て、スノッリの甥であるストゥルラ・シグヴァットソンをスノッリの代わりに総督にすると約束する。その後、アイスランドでのギツルとの抗争に敗れたスノッリが禁令に背いてアイスランドへ帰国したため立腹し、スノッリを殺害するか生け捕りにせよとの密書をギツルにおくり、スノッリを殺害させた[18]
- ハーコン・ハラルズソン。ハーコン善王。アザルステインの養子。剽窃詩人エイヴィンドによって、ハーコン善王のための頒詩「ハーコナルタール」が謡われた[18]
- ハーコン・グリョートガルズソン。フラジルの候[18]
- デンマーク王ハールヴダンの息子で、ホグニの弟[16]
- 933年[18] ハーコン善王生まれる[18]
- 953年[18] ハーコン善王がノルウェーの国法を制定[18]
- 955年[18] ハーコン善王とエイリークの子供たち[18]
- 961年[18] フィチャルの戦い。ハーコン善王死す[18]
- 963年[18] <権勢あるハーコン候>[18]
- 970年[18] <権勢あるハーコン候>らとデンマーク王ハラルド・ゴルムソン[18]
- 975年[18] <権勢あるハーコン候>がダナヴィルキで皇帝オット二世に勝利[18]
- 986年[18] <権勢あるハーコン候>とその子エイリークがヨームのヴァイキングに勝つ[18]
- 995年[18] <権勢あるハーコン候>死す[16][18]
グズルーンの歌Ⅰ
グズルーンの歌Ⅱ
ヘイムスクリングラ 原著者序文
- ハーコン勢力候(Hákon jarl hinn ríki[22])。剽窃詩人エイヴィンドによって、ハーコン候の系譜を謡った「ハーレイギャタール」という詩を贈られた。後に暗殺され、この世を去った[18] (hinn [代] あの)[3](ríkr 有力な、強力な 英語richに相当)[3]
ユングリンガサガ
- <権勢ある>ハーコン候(Hákon jarl hinn ríki[22])(Hákon jarl inn ríki[16])はその父方の系図をセーミングまでさかのぼることができる[18] (jarl [男] 伯)[3](hinn [代] あの)[3](ríkr 有力な、強力な 英語richに相当)[3]