Danmorc[13]、Danmörk[16][22](ダンメルク[1]、デンマーク[1][11][16][18][25][26]
羅語Dania[24]
原典版
概要
- もともとスカンディナヴィア半島南部に居住していたと考えられるデーン人が建てた国。最初期のノルド語が「デーン語」dönsk tungaと称されていたこと等からみて、古代北欧にあっては勢力が強大であったと推測される。伝承によれば、オージンの息子スキョルドが支配王朝(スキョルドゥング朝)の祖である[16]
- 北欧神話というときの北欧は、フィンランドをのぞいたスカンジナヴィア(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー)とアイスランドをさす[25]
- デンマークの各地には先史時代の巨石遺構が残る[11]
シンフィエトリの死について
グズルーンの歌Ⅰ
グズルーンの歌Ⅱ
- シグルズを亡くしたあとのグズルーンがデンマークに住むハーコンの娘ソーラのところに三年半の間滞在し、二人で布に、デンマークの白鳥などを金糸で刺繍した[1]
- デンマーク王の名として、ヴァルダル、ヤリスレイヴ、エイモーズ、ヤリツカールの名が挙げられる[1]
ヒルデブランドの挽歌
詩語法
ヘイムスクリングラ 原著者序文
- デンマークではかつて火葬が行われていたが、<誇り高きダン>王が陵墓をつくるようになってからは、彼の子孫の王はそれにならい陵墓を作るようになった[18]
- 司祭の賢者アリによって、ノルウェーやデンマークやイングランドの王たちの生き様などが記録された[18]
ユングリンガサガ
- デンマークで最初にkonungr[22](王[18])と呼ばれたダンプ王の息子である<高慢な>ダン王の名にちなみ、デンマークという国名が名付けられた[18]
- ヨールンド王とエイリーク王がデンマークに略奪行に出かけ、そこでグズラウグ・ハーレイギル王と戦い、勝利した。のちにスウェーデン王となったヨールンドがデンマークへ略奪に出かけ、グズラウグ・ハーレイギル王の子ギューラウグ・ハーレイギル王と戦い死亡した[18]
- もともとデンマークはスウェーデン王国に対して激しい攻撃をしかけていたが、ユングヴァル王の治世のころ、デンマーク人はスウェーデン王国と和睦を結び、ともに東方を荒らしまわることとなった[18]