Danmorc[13]、Danmörk[22](ダンメルク[1]、デンマーク[1][18])
原典版
概要
シンフィエトリの死について
グズルーンの歌Ⅰ
グズルーンの歌Ⅱ
- シグルズを亡くしたあとのグズルーンがデンマークに住むハーコンの娘ソーラのところに三年半の間滞在し、二人で布に、デンマークの白鳥などを金糸で刺繍した[1]
- デンマーク王の名として、ヴァルダル、ヤリスレイヴ、エイモーズ、ヤリツカールの名が挙げられる[1]
ヒルデブランドの挽歌
詩語法
ヘイムスクリングラ 原著者序文
- デンマークではかつて火葬が行われていたが、<誇り高きダン>王が陵墓をつくるようになってからは、彼の子孫の王はそれにならい陵墓を作るようになった[18]
- 司祭の賢者アリによって、ノルウェーやデンマークやイングランドの王たちの生き様などが記録された[18]
ユングリンガサガ
- デンマークで最初にkonungr[22](王[18])と呼ばれたダンプ王の息子である<高慢な>ダン王の名にちなみ、デンマークという国名が名付けられた[18]
- ヨールンド王とエイリーク王がデンマークに略奪行に出かけ、そこでグズラウグ・ハーレイギル王と戦い、勝利した。のちにスウェーデン王となったヨールンドがデンマークへ略奪に出かけ、グズラウグ・ハーレイギル王の子ギューラウグ・ハーレイギル王と戦い死亡した[18]
- もともとデンマークはスウェーデン王国に対して激しい攻撃をしかけていたが、ユングヴァル王の治世のころ、デンマーク人はスウェーデン王国と和睦を結び、ともに東方を荒らしまわることとなった[18]