Hálfdanr[3]、Hálfdan[16][22](ハールヴダン[1][2][16]、ハールブダン[30]、ハルヴダン[3][18][31]) 血統が半分デンマーク人[3]、半デーン人[16] [男][3]
― hálfr[3] 半分の[3] [形][3]
原典版
概要
- デンマーク王とされる。代表的な王名の一つ[16]
- ハルヴダン・ハラルズソン。ハルヴダン黒王[18]
- ハルヴダン・フローザソン。デンマーク王[18]
- ハルヴダン・オーラヴスソン。<白足のハルヴダン王>[18]
- ハルヴダン・エイステインスソン王[18]
- ハルヴダン・グズレーザルソン。ハルヴダン黒髪王。ノルウェー王[18]
- イスタンブールの聖ソフィア寺院(ハギア・ソフィア[30])の二階回廊の大理石の手すりには、ハルヴダン([30]では=ARFTAN=と記載しながら、一部ハラルド苛烈王と記載している箇所と、ハールブダンと記載している箇所がある)の名がルーン文字で記されている[31]
フンディング殺しのヘルギの歌Ⅱ
- カーラの父[1]
ヒュンドラの歌
- スキョルドゥンガル一の男といわれる[1]
- エイムンドと同盟を結び、シグトリュグを殺害した[1]
- アールムヴェイグを妻にし、十八人の息子を得た。そこからスキョルドゥンガル、スキルヴィンガル、エズリンガル、ユングリンガルなどの優れた男たちが由来している[1]
詩語法
- 優れた老王。東方の国々に遠征し、決闘でシグトリュグを殺した[2]
- ホールムガルズのエムンド王の娘アルヴィングを妻にし、長男センギル、次男レーシル、三男グラム、四男ギュルヴィ、五男ヒルミル、六男ヨヴル、七男チュギ、八男スキュリ(スクーリ)、九男ハリ(ヘラ)という九組・計十八人の双子の息子をもうけた。それぞれ遠征で非常に名を上げたが、全員戦で戦死した[2]
- さらに九名の息子がおり、それぞれから偉大な一族が発する[2] (上記の九名と合わせて計十八人の息子、という意味か?)
ヘイムスクリングラ 原著者序文
- ハルヴダン黒髪王。オーラヴ・ゲイルスタザルヴの兄弟[18]
ユングリンガサガ
- フロージ王の息子。フリズレイヴの兄。フロージの後を継いでデンマーク王となった。当時スウェーデンを治めていたアウン王との間に数回にわたって戦闘を交え、勝利してウプサラで二十年間王位についた。その後は病死して塚に葬られた[18]
- グズレーズ王の兄弟の名。<幅広イーヴァル> の父。グズレーズ王の后アーサの策謀により、グズレーズ王に殺害された[18]
- <金歯のハルヴダン(Hálfdanar gulltannar[22])>。ソールエイヤルを治める。子供にソルヴェイグまたはソルヴァと、ソルヴィという姉弟がいる。父はソルヴィ・ソルヴァルソンで、そのさらに父は<老ソルヴィ>といい、初めてソールエイヤルを開墾したと言われている[18] (gull 金、黄金 [中] 英語goldに相当)[3]
- <白足のハルヴダン(Hálfdan hvítbeinn[22])>。オーラヴとソルヴェイグの間の息子の名。兄弟にインギャルドがいる。ソールエイヤルの叔父ソルヴィのところで養育されていたが、オーラヴ王とソルヴィ王を殺害したスウェーデン人の軍隊に捕虜にされた。その後、王の名を与えられ、ソールエイヤルを支配下におさめた。ウップランド王<暴君エイステイン>の娘アーサを妻にし、エイステインとグズレーズという二人の息子をもうけた。領土としてヘイズマルクとソートゥンとハザランドおよびヴェストフォルドのかなりの部分を手に入れた。また、兄インギャルドの死後は、彼が治めていたヴァルムランドをおさめた。老いてソートゥンで病死したのち、その遺体はヴェストフォルドに移され、スキーリングスサルのスケーレイズといわれるところに埋葬された。その後、ラウマリーキとヴェストフォルドは息子のエイステインが支配した[18] (hvítr 白い [形] 英語whiteに相当)[3]
- <気前良しのハルヴダン(Hálfdan hinn mildi[22])>または<食い意地のハルヴダン(Hálfdan hinn matarilli[22])>。給料としてほかの王が銀貨を与えるのと同額の金貨を与えたが、食べ物は粗食であったためこう呼ばれる。エイステイン王の息子で、偉大な勇士であり、長い間ヴァイキング行に出かけていた。ヴェストマリルのダーグ王の娘フリーヴを妻にした。領地であるヴェストフォルドのホルタルにて病没し、ボローに埋葬された。その後は、息子の<誇り高いグズレーズ>が国を治めた[18] (hinn [代] あの)[3](mildingr[9] 物惜しみせぬ君[2])
- <誇り高いグズレーズ>とアーサの間に生まれた息子の名。<誇り高いグズレーズ>の死後、兄オーラヴはヴェストフォルドの東側を、ハルヴダンは南を治めた[18]