Fróði[9][13][16][22](フロージ[1][2][6][7][10][16][18])
原典版
概要
- 伝説的なデンマークの王[1][18]。広く国外にも知られていたらしく、中世ドイツの叙事詩にもFruote von Tenemarkeとしてみえる[1]
- デンマークの伝説上の王。彼の治世に平和がつづいたので、(平和で豊かな時代は)Fróða friðr[22](フロージの平和[18])と呼ばれるようになった[18] (friðr 平和)[6]
- <平和の>フロージ。Fríð-Fróði。デンマーク王。広くゲルマン圏で知られていた伝説的英雄。スノッリ『エッダ』序文によれば、西北ドイツのヴェストファーレンを支配した王。またサクソの第五書によれば、東はロシアから西はラインの岸に到る領土に君臨し、厳罰主義によって王国の治安を保ったが、ホグニとヘジンの闘いによって破られたという[16]
- 『デンマーク人の事績』にてフロートが竜を倒しておびただしい宝を手に入れた場面は、シグルズがファーヴニルを討ち宝を手に入れる場面と酷似している[11]
フンディング殺しのヘルギの歌Ⅰ
ヒュンドラの歌
グロッティの歌
- フリズレイヴの子。フェニヤとメニヤを下女として捕らえ、グロッティと呼ばれる灰色の臼をまわすことを命じたところ、二人から、自身の身に起こる未来を教えられた。それは、ユルサの子がハールヴダナルと一緒にフロージに復讐し、フロージはフレイズの玉座や黄金の腕輪、神聖な石臼を失う、という内容だった[1]
スノリのエッダ 序文
詩語法
- フリズレイヴ王の息子の名。スキョルドゥング一族。父王の死後、その後をついでゴットランドを支配した。北方の国々の全ての王のうち最も権勢のある王であった。彼が国を支配している時代は、他人を傷つける者や盗賊、泥棒などがなく平和だったため、北欧語で平和はフロージにちなんで『Fróðafrið[9] フロージの平和』と呼ばれる[2] (friðr 平和)[6]
- フィョルニル王が催したスウェーデンでの宴会を訪れた折、フェニャとメニャという二人の側女を買った。そして彼女らに、グロッティという石臼で黄金の粉と平和と幸福を挽かせた。やがて彼女らが軍隊を挽きだした頃、ミューシングという海王に攻め込まれ殺害された[2]
ユングリンガサガ
- 当時フレイズラに住んでおり、フィヨルニルと親しい間柄だった。<Friðfróði[22](平和のフロージ[18])>とも呼ばれる。セールンドに大きな屋敷をもっており、数エレの高さもある大きな樽で蜜酒を醸していた。自らの屋敷で催した盛大な宴にフィヨルニルを招待した[18] (friðr 平和)[6]
- Fróði hinn mikilláti[22](<高慢の>フロージ[18])またはFróði hinn friðsami[22](<温和の>フロージ[18])。ダンの息子で、あとを継いでデンマーク王となった。フロージの死後は、その息子であるハルヴダンとフリズレイヴが後を継いでデンマーク王となった[18] (hinn [代] あの)[3] (mikill 大きな、偉大な [形])[3]
- Fróða hins frœkna[22](<勇敢なフロージ>[18])。デンマークのセールンドに住む王で、スウェーデンのエギル王に対して貢納の約束の代わりに援軍を派遣し、トゥンニ盗賊団一味の討伐に協力した。その見返りとしてエギル王は貢納こそしなかったものの、半年ごとにフロージ王に立派な贈り物をし、二人は良好な関係をもった。ところがエギル王の後を継いだ息子オッタルとは仲が悪く、エギル王が約束していた貢納をするよう要求したところ、オッタルがそれを拒否したため、ヴォトとファステイという候らにデンマークの国防をまかせ、軍を引き連れてスウェーデンじゅうを荒らしまわった[18] (fröm[12] 勇敢な、促進する[6])