スキュリ(スクーリ、スクリ) Skyli[9](スキュリ[2])/Skúli[9](スクーリ[2][7][8][18]、スクリ[1]) 原典版 概要 ハーコン・ハーコナルソン王の摂政。ノルウェーを訪れたスノッリを二冬の間もてなした。また、スノッリから、ハーコン王とスクーリ候の功業を称えた頌歌しょうかを贈られた。その後、アイスランドでの抗争に敗れたスノッリの身柄を、スクーリ候の息子が引き取った[18] 登場する文献と役割 詩語法 ハールヴダン王と賢女アルヴィングの間に生まれた九組の双子の八男の名。他の兄弟とともに遠征で非常に名を上げたため、その名は栄誉の称号となり、王や候の名となった。子はなく、戦で戦死した[2] 参考文献 [1] 谷口幸男(1973)『エッダ―古代北欧歌謡集』新潮社 [2] 谷口幸男(1983)「スノリ『エッダ』「詩語法」訳注」『広島大学文学部紀要』(特輯号第43巻3号)p.1~122,広島大学文学部 [7] 谷口幸男(2002)「スノッリ・ストゥルルソン『エッダ』「序文」と「ハッタタル(韻律一覧)」訳注(2)」『大阪学院大学国際学論集』(13(2) (通号 26))p.125~154,大阪学院大学国際学学会 [9] Guðni Jónsson (ed.), Eddukvaeði,Íslendingasagnaútgáfan (1954) (http://www.heimskringla.no/wiki/Skáldskaparmál)2018年3月30日アクセス. [18] 谷口幸男(2008)『ヘイムスクリングラ-北欧王朝史(1)-』プレスポート