Svíþjóð[9][22]、Svíðióð[13](スヴィショーズ[2]、スヴィジオーズ[1]、スヴィーショーズ[6][18]、スウィーショーズ[2])
原典版
概要
ヴェルンドの歌
グロッティの歌
ヒルデブランドの挽歌
スノリのエッダ 序文
ギュルヴィたぶらかし
詩語法
ヘイムスクリングラ 原著者序文
ユングリンガサガ
- タナイス河によって三分された世界のうち、黒海の北側に存在する。大きな山脈が北東から南西にのびて、それが大スヴィーショーズとほかの国々とを分けており、南のほうはチュルクランドに近い。国土は大セルクランドより大きく、さらには大ブラーランドに匹敵する大きさと言われているが、北部は霜と寒気のため人は住めない。この地には様々な言葉をもつ民族のほか、巨人、小人、黒人、獣、龍なども住んでいる。スヴィーショーズの間にはタナイス河が流れており、河の支流の間の国はヴァナランドまたはヴァナヘイムと呼ばれている[18]
- 全スヴィーショーズで人々はオーディンに一人当たり1ペニーずつの税を支払い、見返りとしてオーディンの守護を受けた[18]
- スヴィーショーズはマナヘイムともよばれ、大スヴィーショーズはゴズヘイムともよばれた[18]
- オーディンはスヴィーショーズで病死し、そのあとはニョルズが国を治めた。ニョルズの病死後はフレイがスヴィーショーズを治め、人々からdróttinn yfir Svíum[22](スウェーデン王)と呼ばれた。フレイの死後は、その息子フィヨルニルがスウェーデンを治めた。フィヨルニルの死後は、その息子スヴェイグジルが国を治めた。スヴェイグジルはゴズヘイムと老オーディンを探し出すことを誓い、チュルクランドや大スヴィーショーズをはじめとする世界中をめぐった。その後はスヴェイグジルの子ヴァランディが国を治め、その後も彼らの息子たちが代々国を治めた[18] (dróttinn 主人、領主 [男])[3]
- ドーマルディの治世のころ、スウェーデンで大飢饉が起こった。そのためスウェーデン人は、ドーマルディを殺して供犠の生け贄にささげた[18]
- スウェーデンは代々、フレイを祖とする子孫たちが国を治めていたが、フグレイク王の治世のころ、フグレイク王がヴァイキング王のハキに敗れ、スウェーデンの王となった。後にフグレイク王の従兄弟であるヨールンドがハキと戦い、スウェーデンの王となった[18](そのため王位は再びフレイの血筋に戻ることとなったが、その後も度々デンマーク人がスウェーデンを治めることになる)
- スウェーデン王国はデンマークや東方の国々からの激しい攻撃にさらされていたが、ユングヴァル王の治世のころ、スウェーデンはデンマーク人と和睦を結び、ともに東方を荒らしまわることとなった[18]
- オーディンがスウェーデンの首長となってからアグニが死ぬまで、ウプサラで王位についた者が全スウェーデンを支配する専制君主であった。アグニが死んでからは国と王位は枝分かれするようになったが、ウプサラの王はスウェーデンでもっとも高貴な王であった[18]